日本二十六聖人殉教地 | 日本伝承大鑑

【にほんにじゅうろくせいじんじゅんきょうち】豊臣秀吉がキリスト教を禁じたのは天正15年(1587年)、まだ天下統一を果たす前であった。しかしこの時出された“バテレン追放令”は、実質、キリスト教への強制的改宗や公然とした布教活動を禁ずるものであって、むしろ個人の信教の自由をおおむね保証する内容であった。ところがその約10年後、秀吉はキリシタンに対して苛烈な対応を取る。それが日本最初の殉教事件である「日本二十六聖人の殉教」である。発端は、土佐に漂着したスペイン船・サン

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