気ままにシングルライフ

毎日、ご機嫌で暮らしたい*\(^o^)/*。:°ஐ..♡*

思い出したこと その1

今日も仕事でした。

日曜日ということもあり、忙しい1日で残業しなくてはならない羽目に…


一昨日、昨日と久しぶりに次女と一緒に過ごせて楽しかったです。


昨日の夜ご飯、スシローへ行く予定でしたが、お店がリニューアル中とのこと、急遽はま寿司へ。


次女はバーベキュー後、私もお昼ご飯が遅かったので、あまり食べられなくて次女が5皿、私は3皿、2人とも茶碗蒸しを頼んだくらいですぐ終了。お会計は2人で1400円。

次女が奢ってくれました(^^)v


子どもにお金を出してもらえる日が来るなんて…大人になったんだなあとつくづく思います。


家に帰ってからは、次女はホットカーペットが気持ちいいと言って寝てしまったので、私はその間に次女の好きなハンバーグを作って、タッパーに詰めて次女に持たせました。


そして、次女は神戸に帰ってしまいました。


女の子は母親に辛辣です。

ぽんぽんと思った事を口にします。

よく母親を見ています。


ちょっと喋ると、

「あ、お母さん、絶対それ言うと思ってたわ」

とか、

「お母さんの言う事、大体先が読めるわ」

とか

「昔と同じ事しか言わんよな」

とか…



きついですが、まあ、そのきつさもまた可愛くて…完全に親バカですね。


次女と話していて、思い出した事が二つあって。


ひとつは、主人が亡くなった時のこと。


主人が旅立ったのは次女が高2の終わり…


上の3人は、もう仕事もしていてそれなりにやっていましたから、心配はありませんでしたが、次女はまだこれからと言う矢先でした。


それまで次女は大学へ進むと決めていましたが、主人が亡くなった事でそれもどうするのか…

生活が一変してしまったので。



本人は、絶対に大学へ行きたいだろうと思っていたので、何としてでも進学させてやりたい、と心に決めていました。



でも、私立の大学となると、京都まで通う事になります。

学費と定期代、合わせたら相当かかってしまいます。

それを考えると、とても、私立には行かせられませんでした。


次女には、大学へ行きたいなら…

と話しをしました。


私立には通わせられない。

近くの国公立なら何とかなると思う。

お母さんは学校に必要な学費は出す。

でも、それ以外はバイトして自分で稼ぐこと。

もちろん、学生支援機構からお金も借りて。そのお金も将来仕事するようになったら、自分で返済すること。



主人がいた頃は、あまり勉強に熱心ではなく、のほほんとゆるーい高校生活を送っていた次女でしたが、それからは人が変わったように勉強するようになりました。

塾へ行かせて欲しい、というので、本人が希望する塾へ。

この塾がかなりの出費で大変でしたが、今のこの時期にお金を惜しんではいけないと思いました。


次女は、高校も私立へ通っていたので、あの頃はしんどかったです。

次女も私も。

私はお金の工面で。

次女は遠い高校の行き帰りと塾の生活で。


主人が亡くなった事で、残された私たち家族の結束は強くなりました。


力を合わせないとやっていけなかった。


子どもたち4人と何回もミーティングのような話し合いをしました。


6月…ちょうど、長女の仕事先が変わるのに合わせて、次女も家を出ることに決めました。


引越しは友人に軽トラを借りて、何往復もしました。


自分たちで決めた事とはいえ、急に女の子2人がいなくなり、私は寂しくて寂しくて…主人もいないし、夜になると泣いていました。(次男はいましたが)


でも、前に進むしかありません。


長女と次女はと、いうと…


次女は高校まで自転車で5分、塾まで20分くらいのところに住むことになり、もうるんるん♪でした。


長女はちょっと大変で…

仕事も変わったばかり。

やり繰りはしないといけない。

次女のご飯は作らないといけない。

私がやっていた母親の役割りをする羽目になってしまって、よく怒っていました。けど、自分も家を出る、と言って出たのですから仕方ないです。


次女は、高校が終わると塾へ直行。

夜、塾が終わる10時頃まで残ってやっていました。

夏休みも返上で、朝から晩まで塾に篭っていたようです。

そりゃそうです。

勉強していなかったので、その頃、成績が大したことなくて、国公立へ進学できるのは絶望的でしたから。


塾の帰り道に自転車漕ぎながら、毎日、電話をかけてきました。

でも、私にとってそれは次女が一日無事であった事の目安となりました。


ある日、泣きながら電話がかかってきました。その日も塾帰りで、

理由を聞くと「お姉ちゃんからめちゃ怒られた。もう帰りたくない」とのこと。


「振り分けてある家事をやらなかった。何で決めた事をやらないの!?」と、怒られたそうです。


次女には次女なりの言い訳があったようですが、

私は「お姉ちゃんと決めた事やろ?お母さんは知らんよ。お姉ちゃんの言う事を守りなさい」と、言って電話を切りました。


私の代わりをやってくれている長女は本当に大変だったと思います。


夏休みを過ぎた頃でもまだ成績は不安なまま…

塾の先生からも進路を変えたらどうかと何度か呼び出されましたが、親子共、進路の希望を変える事なく

国公立一本で!と決めていました。と、いうか、それしか道はなかったからです。落ちたら就職です。


最後までそれを押し通して、いよいよ受験の日。

科目によっては駄目かも。と言っていました。


受験発表の日も、私はきっと落ちてるだろうから、と諦めていましたから、その日は歯医者に行っていました。

歯医者の待合室で待っていると、次女から電話がかかってきて、「合格してた!」

「うそーーーっ」と、思わず言ってしまいました。

人目も憚らず泣いてしまいました。


最後まで押し通して良かったです。


行きたかった大学へ進学できて、楽しい4年間を過ごし…今、元気でいてくれる。


きっと主人が見守っていてくれたからだと思います。



もう一つ、思い出した事はまた後日に…


すみません、長くなってしまいました(・・;)


最後まで読んで下さって、ありがとうございましたm(__)m


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