叔父の事、母の事
こんばんは(*^^*)
今日はこちら地方、過ごしやすく良い天気でした。
仕事の疲れもあるのか、ブログの記事も進まず、書いてはやめて書いてはやめての繰り返しでついつい滞りがちになっています^^;
途中まで書きかけの記事が5個もある!∑(°∀° )
ズンと重いものが胸の奥にあります。
〈今回は暗い話になりますので、苦手な方はスルーして下さいね。〉
ひとつは母の事。
母に鹿児島へ行ってからいきなりホームの話をするよりは今から少しずつ考えてもらおうと、毎日の電話の中で話しています。
母はそんな所には入らないと言い張っていますが…^^;
母から
「〇〇(妹)が施設に入れと言うのよ」と怒って電話がかかってきました。
(後から聞いてみると、妹は施設とは言ってなくて、みんながいる所に行ったら?と話したらしい)
みんながいる所→施設のことだと母には分かったのですね^^;
私「そうやね、もうそろそろ考えないとね。」
母「家はどうするの?」
私「家はそのままだよ。時々、私たちが帰った時にお母さんも家に帰って来て一緒に過ごせるように置いとくからね」
コロナ禍、本当はそんな簡単にホームから家には帰れないはず…
だけど、いつでも家に帰れるという逃げ道を作っておかないと母はきっと気落ちしてしまうと思うのです。
(それに私も将来、この家に帰る事になるかもしれません。)
そして、もうひとつは先日他界した叔父の事。
叔父は昔、私たちが鹿児島へ帰省する度に駅や空港まで迎えに来てくれました。
叔父の家は海の近くにあり、幼い頃はよく泊まらせてもらって、目の前に広がる海で従兄弟たちと泳ぎました。
(道の駅より撮影)
楽しい思い出ばかり…
そして、子供だった私にこの世の中でどう生きて行くべきか…大切な話を静かにわかりやすく話してくれました。
鹿児島から大阪へ帰る寝台車の中で、叔父の話を思い出しては自分がひと回り成長したような、そんな気がしたものです。
叔父は10年ほど前に脳梗塞で倒れ、数年前に重度の介護が必要となり、特別養護老人ホームへ入所しました。
鹿児島に帰ったら必ず叔父に会いに行っていましたが、ここ2、3年はコロナの為、会う事は叶わず…
絵を描くのが好きで、結婚当初、貰った絵がうちにあります。
ずっと会いたいと思っていましたが、とうとう会えないまま逝ってしまいました。
11人いた兄弟も母を含めて3人に…
弟を亡くした母の悲しみは深く、電話をかけてきては泣いています。
私が早く母の元へ帰れるといいのですが。
帰ったら帰ったで、重要なミッションが待っています。
気の重い事ばかりですが、なんとかやり抜かなければ…
重い話になってしまいました(^^;
最後まで読んで下さり、ありがとうございましたm(__)m