『透徹の空』と8年前の今日
22日、月曜日の朝の写真です😃
空を見上げれば、抜けるような青空でした✨✨✨
でも、こんな日は花粉症の身には辛い💦
花粉症の症状が酷くて、耳鼻科でもらった薬を飲んでいます😷
目薬と鼻の噴霧器、飲み薬は2種類を1日一回夕飯の後に。
でも、この飲み薬、強烈に眠気が襲ってきます🥱
なので、自己判断ですが、効き目がゆるいと思われる種類の薬だけ飲むようにしました。
ピルケースに入れておけば飲み忘れも防げます✌️
薔薇の絵が描いてあって、曜日ごとに分けられるお気に入りのピルケース😊
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8年前、主人を見送った日もこんな青空が広がっていました。
25日夜、仕事が終わっていつもと変わらぬ帰宅。
長男も帰って来ていて、家族が全員揃って、嬉しそうに晩ご飯も食べて、テレビを見て笑っていました。
何も変わらない普段通りの食卓でした。
その時は突然やって来ました。
長男と長女が交代で心臓マッサージと人工呼吸をしました。
救急車の中でも救急隊の方が懸命に蘇生を試みて下さいました。
救急車で一緒に病院へ。
日が変わり、主人は帰らぬ人となりました。
心不全…心臓が自然に止まり、苦しんだ形跡は全く無かった…と医師からの説明でした。
病院から主人と一緒に家に帰りました。
義母の気持ちを思うと、胸が痛みました。
自分が産んだ息子に先立たれる辛さというのは筆舌に尽くし難いと思います。
気丈な義母でしたが、毎日泣いていました。
私は泣いている場合ではなかった。
お通夜、お葬式、初七日、二七日、三七日…四十九日、百箇日…田舎なので毎回親戚に参ってもらう為、献立を考え、大量におかずを作らなければなりません。
持って帰ってもらうお返しの品物も毎回違うし、四十九日まで毎夜、親戚の方たちがお勤めに来てくれます。
その間にも来客が次から次へとあり、香典のお返しや家の手続き、相続の事、役場や銀行、次から次へとやらなければならない事が迫ってきて、それをこなすのに精一杯でした。
長男が仕事を10日ほど休んでくれて、その間に手続きや色々な書類のことなんかを率先してやってくれ、葬式の段取りから何から何まで頼りになりました。
ボーッとしていた長男でしたが、この時を境に変わったように思います。
子どもたちと力を合わせて乗り切ってきました。
上の3人はもう社会人でしたが、次女はまだ高校2年生でした。
大学に進学したいという希望を持っていましたが、すでに私立高校に通っていて、学費が半端なく高い。
それも頭を悩ませました。
主人が乗っていた車と同じ車を見ると運転している主人を探しました。
その度に、あぁ、違う。
もういないんだ、と思いました。
色んな向かい風がありました。
ひとりで立ち向かうにはしんどかった。
それは思いがけず近い人からでした。
それが、家を出た原因です。
現在、義母と主人の弟がその家に住んでいます。
反対に、辛い時期にずっと声をかけ続けて下さった近所の方々がいました。
普段は、付かず離れずの関係だったけれど、いざこんな事があると力になってくれる…
近所の方々には本当に今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
一周忌が終わった後に主人のいない現実に悲しみが押し寄せました。
8年が経ち、家を出て6年。
主人が働いて建ててくれた思い出いっぱいの家でしたが、家を出たことに悔いはありません。
今は気持ちも落ち着き、今の暮らしにも慣れました。
でも、たまにウォーキングしていると、橋の向こうで主人が待っているような気がする時があります。
「寒かったやろ、帰ろか」
「うん、帰ろ」
いるはずないんですけどね。
徳永英明さん…たくさん好きな歌がありますが、この歌はまた特別で。
徳永さんがお父さまのことを想って歌っているのかな…違うかもしれませんが…そう思いながら、聴いています。
32年間…色々ありましたが、主人がいなくなって初めて気がついたことがあります。
それは主人が盾になって色んな物、人から家族を守ってくれていたんだということ。
もっと早くにわかっていれば…と思います。