今日は午後から雨も上がり、少し日もさして明るくなってきました。
台風の影響もなく良かったです。
朝、長女からLINEが来ました。
「昨夜、久しぶりにお父さんの夢を見た。いつもは喋らないんやけど、昨夜はたくさん話してたわ。昔の家にお客さんが来てて、テンション上がってお寿司を31人前頼んでくれ、という本当に言いそうな事を夢でも言ってた。それに私は夢でも呆れてた。」という内容でした。
どうも主人はあの世でもお客さんをもてなしているようです。(笑)
長女からのLINEで、思い出しました。
子どもたちの不登校の話を以前しましたが、長女のことはまだでしたので、ここで話したいと思います。
長女の不登校は小学校の低学年の時に少しと高校に入ってからありました。
次男と学年が1年違いでしたので、長女が小学校へ入学した時には、次男が2年生で不登校真っ只中でした。
私は次男に付き添って学校へ行っていたので、長女にしたら「何で自分にはお母さんが付いてきてくれないの?」と、なるわけです。
朝、長女だけは他の子どもたちと一緒に登校してくれましたが、学校へ行ってから「私の教室にも来て欲しい」と言うので、
小2次男の教室に1時間
小1長女の教室に1時間
と言う具合に、とにかく平等になるように、交互に教室へ行っていました。
もちろん、それぞれの担任の先生に相談してからです。
担任の先生方は、私がずっといるのでやりにくかったのではないかと思います。
でも、嫌な顔はせずに心良く引き受けて下さいました。
毎日、それぞれの教室の1番後ろで椅子をひとつお借りして、日がな一日「ひとり参観」をしていました。
でも1時間ずつ、それぞれの教室を行ったり来たりするので忙しい。
時々、授業に参加させてもらいました。
時にはうたた寝してしまい、椅子からずり落ちそうになった事も何回か。
1日の長かった事…
これでいいのか毎日葛藤がありました。
毎日疲れてました。
でも、そうこうするうちに、長女が「もう来なくてもいいよ。」と言ってくれました。
半年くらいはがんばったと思います。
もう、「あー、良かった!」と、心の底から思いました。
たぶん、長女は私の様子をみて我慢したのではないかと思います。
次女は、我が道を突き進むタイプですが、長女はすごく我慢強い子で、人の気持ちを汲んでしまうんです。
その後、小学生の頃は時々休むくらいで(休む時は長くても1週間くらい)卒業、中学校は休む事なく無事に卒業してくれました。
そして、次は、高校生になってからです。
部活はバレー部でしたが、そのバレー部がめちゃくちゃ厳しくて。
県内でも強いチームで、朝練は当たり前、お正月もお盆もありませんでした。
親も大変でした。
朝は早い、帰りは遅い。
毎日車で駅まで送り迎えしていました。
その帰りの車内でコーチのやり方に対して毎日文句を言うようになって。
今ではもうないと思いますが、その頃はミスすると、コーチからほっぺたをぶたれたり、お腹をグーで殴られたり、頭を叩かれたりの世界でした。
長女はそのやり方に我慢できず、学校を休むようになりました。
コーチに反発して、部活途中で着ていたゼッケンをコートに叩きつけて帰ってきたようでした。
高3、確か2学期でしたので、進学の大事な時期に差し掛かっていました。
バレー部の大会ももう最後くらいだったと思います。
「授業の単位が後少しで足りなくなるから、出て来るように言ってください」と進路指導の先生から、電話がかかってきます。
卒業がかかっていましたので、私はもう気が気でなかったですが、本人は、「行かない!」と言い張ります。
もう高校生なので、親が出ていくのはどうかとも思いましたが、娘が行かないので拉致が開かないし、私が代わりに学校まで出向きました。
進路指導の部屋に通されて、詳しい話を聞くことになりました。
進路指導の先生から「授業に出られなければこのプリントを出してください。代わりに出席としますから」と、結構な枚数の宿題を渡されました。
そのプリントを取りに私が学校まで行き、娘が家でやったプリントをまた私が学校まで持って行くといった奇妙なやり取りを2学期の間、何回か繰り返しました。
そして、夏休みも終わり、部活の練習も無くなった3学期。
娘はやっと学校へ行くようになりました。
そして、無事に卒業式を迎えることが出来ました。
後から進路指導の先生に聞いたら、もう単位があとひとつ足りなかったら、卒業は出来なかったと言われました。
冷や汗もんです。
首の皮一枚で繋がった!とその時思いました。
今、その話を長女にするとケラケラ笑いますが、私にしたら「笑い事じゃないわっ!」です。
小さな時の不登校もしんどいですが、大きくなったらなったで大変です。
何故、今頃自分の子どもの不登校の話をするのか…
それは今不登校で苦しんでいる親さん、子どもさん、関係者の皆さんにとって、少しでも役に立つ事があれば…という思いがあったからです。
親にとって、子どもが学校へ行かない、学校へ行けない子どもを毎日見るのは辛く苦しいです。
特に母親は自分が子どもをそうさせてしまったのでは…と思い悩みます。
お父さんは、苦しんでいるお母さんを是非支えてあげてほしい。
周りに誰も味方がいない、というのは辛いです。
せめてお父さんは、お母さんを責めるのではなく寄り添ってあげて下さい。
次男のカウンセリングに通っていた頃、グループでよく他のお母さんたちと話していましたが、中にはご主人に理解してもらえず離婚してしまった方もいらっしゃいました。
私は離婚もせずに済みましたが、やはり主人に理解してもらうには相当時間がかかりました。
たぶん、私の3年くらい遅れて理解してくれたのではないかと思います。
よくカウンセリングの先生に言われたのは、
「不登校になる子どもさんに共通していること、それは自己肯定感が低い」という事です。
『自己肯定感』とは。
「自分に自信がある。
「自分はこのままでいい。」
「ありのままの自分で生きていく。」
「自分は自分であって大丈夫なのだ。」
「自分がこのように感じ、このように感動する自分であって大丈夫なのだ」
ということです。
当たり前のようで、自己肯定感の低い人は多いのではないかと思います。大人でさえも。
この言葉は、私自信に向けられた言葉でもあると感じました。
そして、自信を失った子どもの、
「自分を信じる気持ち」
「自分を大切にする気持ち」
を育ててあげるのが、不登校から抜け出す早道と思います。
不登校にも色々なきっかけや原因があります。
家庭環境もそれぞれです。
子どもの性格も違います。
原因をとやかく探っても終わったことは仕方ない。
それから先は、そばにいる親さんが寄り添って見守ってあげることで、子どもは自信を取り戻す事ができると思います。
では、「寄り添う」「見守る」「信頼して待つ」とはどういう事か…
それはただそばにいるという事ではなく、子どもへの親の深い愛と信頼を、子どもに通じるように伝え続ける事です。
それが子どもが力強く歩き始める唯一の方法だと思います。
ここからは、不登校の専門家の先生の言葉を引用させてもらいました。
『大きな氷の塊を自分の体温で溶かすような、気の長い努力の過程。その努力を通じて親の深い愛と信頼が、子どもの心に注ぎ込まれる時、子どもの中に自分を愛し信頼する心が蘇る。こんな自分であっても、自分は親から見捨てられていない、自分が自分であって大丈夫なのだと自分を信頼し、他者を信頼する心、それが蘇ってくる。
親が子どもに与えうる最大の贈り物は、自分を愛し信頼する心なのだと思う。』
1番辛いのは子どもです。
是非「そのままでいいんだよ、学校を休んでも全然ダメなやつじゃない。あなたが大好き。あなたが大事。」と、抱きしめて口に出して言ってあげてほしいと思います。
それもしょっちゅう。
私には子どもが4人いますが、ひとりずつ、他の子がいないところで、「あなたが1番好きだよ」と、こっそり言っていました。
その時の子どもの嬉しそうな顔!
これが恋人が相手なら詐欺ですが、自分の子どもなので大丈夫です(^_^)v
色々工夫して、もう一度、やり直すつもりで子育てを楽しんでください。
私はもう子育ては、懲り懲りですけど。
孫を見て、と言われてももう嫌です。
ちょっと遊ぶくらいでちょうどいいです。
長くなり、すみません。
最後まで目を通して下さってありがとうございました😊